小学校(武庫地区)
しょうがっこう(むこちく)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
学制施行により1873年(明治6)2月20日常松村浄正寺に開かれていた秦野塾(安政年間・1854~1860開塾)を仮校舎として常松小学が設立され、1875年11月守部小学(1873年5月設立)と合併、1876年7月常吉村に校舎を新築して移転し常吉小学校と改称。1878年4月にさらに移転して観瀾小学校と改称。1881年5月の改正教育令、1886年の小学校令改正を経て1887年4月に観瀾尋常小学校と改称、その後1889年4月町村制実施で武庫村立となり、1900年5月武庫尋常小学校と改称。1907年4月高等科併置して武庫尋常高等小学校と改称。1939年(昭和14)朝鮮人児童の教育施設として分校を設置。
1941年4月に国民学校、1942年2月尼崎市と武庫村の合併で尼崎市武庫国民学校と改称。戦後は学制改革により各国民学校は小学校となり、1949年12月朝鮮人学童教育のため武庫小学校分校設置(1966年3月末廃校)。その後市北部地域の宅地化にともない、武庫小からの校区の分離によって、1962年に武庫東小学校、1968年武庫北小学校、1970年武庫南小学校、1981年武庫の里小学校が、また武庫東小・尼崎北小からの分離により1974年武庫庄小学校が創設された。
参考文献
- 『尼崎市戦後教育史』 1974
- 『続尼崎市戦後教育史』 1993