小戸荘

おうべのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  雄家・小部とも書く。古代の雄家郷、現川西市小戸付近にあった荘園。1186年(文治2)の醍醐寺文書目録に「一結津国雄家庄文書」とあり、はじめ醍醐寺領であったが、その後の経過は未詳。多田院に近いことからその影響をうけ、1354年(文和3)地頭武田親幸が地頭佃5段を多田院に寄進し、地頭職も南朝から有馬郡の香下寺に寄進されたあと、室町幕府から多田院に安堵されている。また棟別銭や段銭も加納として多田院が徴収した。棟別銭を負担したのは94家または103家、段銭を負担したのは36町8反であった。また荘内には大炊寮小戸御稲田が設定されていた。

執筆者: 熱田公

参考文献

  • 川西市史『かわにし』第1巻 1974
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