小松荘
こまつのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫川の河口西岸、現在の西宮市小松付近に位置した荘園。武庫川東岸から小松にかけて存在した武庫荘の一部が、12世紀末に分立してできたものとみられる。もと平氏の所領であったが、源平争乱により平家没官領として源頼朝の手に帰し、妹の一条能保夫人に譲られ、1192年(建久3)に彼女が没すると福原荘・武庫御厨などとともにその子女に伝えられた。その後、七条院に寄進されて皇室領となって複雑な伝領過程をたどり、やがて道助法親王が領家職を東寺に寄進し、皇室を本家、東寺を領家とするにいたった。しかし、地頭らの侵略が激化したため下地中分をおこなったが、あまり効果がなく、室町時代にはいると東寺の荘園支配は崩壊した。かわって現地では、大徳寺末寺の長蘆寺が摂津守護細川氏の帰依などをえて台頭し、在地武士の寄進や買得などによって寺領を集積するが、戦国期に細川氏が衰退すると、その寺運も没落していった。
参考文献
- 『西宮市史』第1巻 1959