戦国時代に建立された宝塚市小浜の浄土真宗寺院。建立年代には諸説あるが、確証はない。しかし、順興寺実従の「私心記」永禄3年(1560)2月21日条に実従が摂津富田(現高槻市)、瀬川(現箕面市)、小浜を経て有馬温泉に行った記事があり、ここに小浜御坊である毫摂寺が記されている。16世紀前半にはすでにこの御坊を中心に寺内町が形成され、小浜の町場化が進んでいたとみられる。1578年(天正6)の荒木村重の乱のさい、周辺の中山寺(現宝塚市中山寺)などは戦禍にあったが、毫摂寺と寺内町は攻撃を受けたかどうか不明。また、一向一揆と当時の関わりや信長との関係などについても史料を欠いている。
執筆者: 田中勇