尼崎伊三郎
あまさきいさぶろう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
初代尼崎伊三郎は大洲村大高洲新田の農家に生まれ、明治維新にさいして尼崎〔あまさき〕姓を名のったといわれる。幼少より野菜や生魚の行商をするなど辛苦ののち、時勢をみて海運業を志し、1880年(明治13)60トンの小汽船運輸丸による伊勢湾内の航路開拓を手はじめに瀬戸内・九州方面に進出した。1885年3月に大阪で共同組を創設し、1891年6月に大阪共同組と改称した。同時に尼崎は、海運業の成功により蓄積した資金をもって1901年前後から故郷の尼崎地方で大量に土地投資をはじめ、1903年にはすでに100町歩の大地主となっていた。
初代伊三郎は1904年1月に死亡し、そのあとをついだ甥の2代目伊三郎(旧名豊太郎)は朝鮮航路をはじめ各方面に海運業を発展させた。1905年5月に大阪共同組を尼崎汽船部と改称し、1920年(大正9)5月には個人経営の尼崎汽船部とは別に尼崎船舶合名会社を設立、1921年1月これらを改組統合して合名会社尼崎汽船部とした。土地所有もさらに拡大し、1924年の農林省の大地主調査によると所有地は兵庫県・大阪府下で183町歩、関係小作人は614人に達しており、尼崎耕地部を設置して事業を統括した。1917年に尼崎炭鉱を創設して社長となったほか、豊国火災・千代田生命両保険会社の取締役を兼ねた。1910年大阪市会議員に当選、1911年には大阪府の多額納税者として貴族院議員となった。
参考文献
- 『興亜火災三十年史』 1975
- 『大阪市史史料第十九輯 大正期在阪官公署諸企業沿革調査』 1986 大阪市史編纂所
- 富田重義・前川佐雄『尼崎市現勢史』 1916 土井源友堂