尼崎労働学校

あまがさきろうどうがっこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1924年(大正13)4月15日総同盟尼崎連合会を運営母体として開校。「労働階級ノ社会的経済的地位ヲ自覚セシメ、(中略)階級戦ノ第一線二立ツベキ闘士」(協調会文書/『尼崎市史』第8巻)の養成を目的に、週3回午後7時から尼崎市廣徳寺で開かれた。校長は藤岡文六、月謝50銭。山名義鶴(労働組合論)・河野密(労働運動史)・松沢兼人(経済学)らの講師陣を柱に、課外講師として山本宣治・新明正道・田中勲・村尾重雄らが教鞭を執った。聴講生は総同盟組合員に限られ、同連合会傘下の初島支部・住友支部・伊丹支部から開講当時26名が参加した。労働学校は1921年の日本労働学校(東京)を皮切りに、1922年大阪労働学校が開校、当初尼崎の労働者も同校に通学していたが独立校開設の機運が高まり独自に開校した。関西地方では1923年神戸、1924年京都・堺・岡山でも開校。1924年10月5日6校による関西労働学校連盟が結成された。1925年の総同盟第1次分裂で神戸・京都・岡山が評議会系となったのに対し、尼崎校は総同盟のもとに残った。しかし分裂の影響や財政難のため、大阪を除く他校は1926年ころまでに閉校したものと見られる。なお尼崎連合婦人部によって夜間女学校(週3日、3か月)も1925年12月に開校している。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 『大阪労働学校史』 1982 大原社会問題研究所
  • 『総同盟五十年史』第1巻 1964
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