尼崎商工会議所
あまがさきしょうこうかいぎしょ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎商工共和会を母体とし、1940年(昭和15)12月17日付で設立を認可され、翌1941年4月11日の第1回議員総会で初代会頭に佐古田政太郎(朝日化学肥料専務取締役)、副会頭に松尾高一(日本相互住宅取締役)と金井慶二(金井トラベラー製造所所主)を選んだ。第2次大戦中の1943年6月1日に施行された商工経済会法により9月17日解散、兵庫県商工経済会尼崎支部として戦時経済体制に組み込まれたが、終戦翌年の1946年9月27日社団法人設立が認可され復活、同年10月1日に創立総会を開催した。現行商工会議所法の施行により1954年10月1日から特殊法人として新発足。この間、戦時中は南方講座をはじめとする講座・講習会の開催、金属回収と建艦献金運動、商業報国会尼崎支部の結成などにつとめる一方、尼崎税務署の新設も働きかけた。戦後は関西労災病院の誘致、電話の自動化と大阪局への編入を実現したのをはじめ、防潮堤建設資金の募集、中小企業金融対策としての国民金融公庫尼崎支所・兵庫県信用保証協会尼崎支部等の設置、工業用水道への対応、公害病認定患者救済事業への取り組み、大型店進出にともなう商業活動調整協議会の設置と活動などに大きな役割を果たした。1991年、尼崎工業者共和会の創立以来通算80年を迎え、記念事業として翌1992年6月、『尼崎商工会議所八〇年史』を発刊した。
参考文献
- 野間義治『尼崎商工会議所史』 1944
- 『尼崎商工会議所八〇年史』 1992