尼崎商店連盟
あまがさきしょうてんれんめい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1955年(昭和30)7月20日の尼崎市商業者決起大会において設立、会長には尼崎商工会議所商業部長の白髪信次郎が選ばれた。既存の尼崎商店街連合会、尼崎市場連合会を傘下におさめ、さらに前年秋までに発足していた尼崎商業団体連合会も加え、1956年3月6日には尼崎業種別団体連合会を組織した。尼崎商業団体連合会はこれにともない発展的解消をとげ、1956年秋の公称組織率は40%に達した。1957年5月26日の定期総会で会長は池田清一に交代。また副会長の1人に阪神商工共済会理事長の高丸唯一が就任した。この間百貨店法制定、在阪百貨店売場面積規制の成果とは対照的に、1959年8月のいづみや(現イズミヤ)の尼崎出店には有効な対応策を欠いた。1962年秋にはアメリカ大手スーパーのセーフウエイ尼崎出店阻止に成功したが、1966年11月にダイエー尼崎出店をゆるした。これ以降、都心部商店街の上層小売商の専門店化と、立花地区などの一般小売商のサラリーマン兼業化への階層分化が進んだ。市長選では自民党系保守候補を支持、参院選や県議選には自民・民社・共産3党候補を推薦するにいたった。
参考文献
- 岩村登志夫『戦後商業者運動の展開』 1980 阪神商工共済会