尼崎全労協

あまがさきぜんろうきょう
尼崎地区全労働組合協議会より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  正式名称は、尼崎地区全労動組合協議会。1949年(昭和24)8月19日、尼崎の産別系鉄鋼5社・阪神電鉄・電産・旭硝子などを中心に結成された協議体。2.1スト後、産別会議は民同運動の進展によってその凋落が見られたが、尼崎も例外ではなく、神戸製鋼尼崎工場労組、阪神電鉄労組をはじめとして主要労組の脱退が相次ぎ、産別尼崎地区会議の組織は弱体化していた。1948年10月に大金属労働戦線統一の旗印のもと結成された、全日本金属労働組合(全金属)の主力をなした尼崎鉄鋼5社(大同製鋼尼崎製鋼日亜製鋼尼崎製鈑大谷重工)は、ドッジ・プランの実施による不況下の企業整備のなか、労働運動の地域的連帯を強めていた。この5社を母体に、左派労組の再編が図られ、尼崎全労協がつくられた。全労協は、翌1950年8月には、22組合、組織人員1万4,000余人を擁し、尼崎労働界最大の地域組織となった。しかし、朝鮮戦争をはさんで同年9月の第2回大会以降、レッド・パージ電産争議大谷重工争議の敗北の過程で、その主導権が民同派に移行するにつれ脱退が相次ぎ、1951年1月には鉄鋼関係労組と尼崎自由労働者組合のみとなった。翌1952年10月尼崎地方評議会の結成にともない発展解消した。

執筆者: 福永文夫

参考文献

  • 『兵庫県労働運動史』戦後2 1984 兵庫県
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