尼崎市役所
(尼崎市庁舎より転送)
1916年(大正5)の市制施行により、旧城郭内南浜(現南城内)の尼崎町役場が市役所となったが、行政需要の増大と吏員増員に対応して新庁舎建設を計画、1919年旧城郭内二の丸(現南城内)の吉弘牧場跡1,422坪を買収、大地主・秋岡亀太郎の遺言による寄付金3万円を基金とし、総工費9万円で1922年4月に新庁舎を竣工した。この当時、尼崎市内の築地町に工場があった大阪亜鉛鉱業の岡山県神島工場木造事務所を購入・移築したものであった。尼崎市議会議員の田中太介が経営する田中車輛が、1920年に西松島町に工場を設ける際に閉鎖された大阪亜鉛鉱業神島工場の建屋を移築転用したことが田中の自伝『働く喜び』(1961年刊)に記録されており、これにともなって田中のあっせんにより事務所棟が市庁舎として転用されたものと考えられる。翌1923年6月には旧庁舎本館も移築している。
新庁舎も数年で手狭となったため、阪神国道玉江橋東方の土地を住友から買収、西隣の日本木管敷地も買収して新庁舎ならびに公会堂を新築する予定であったが、日中戦争開始以降の資金・資材難により実現せず、終戦後1945年11月に北城内の尼崎国民学校を廃校とし、校舎を市庁舎として移転した(現市立琴ノ浦高校)。
学校転用の建物は庁舎として不適当で、また手狭となったため、薄井一哉市長のもと1958年に新庁舎建設特別委員会を発足して検討開始、用地は橘公園(現東七松町1丁目)と決定した。設計を建築家村野藤吾に依頼し、公園にあった池を埋め立てて新庁舎が建設され、1962年10月8日の市制実施記念日に落成式が行なわれた。低層・高層・市議会の3棟からなり、敷地面積18,685m2、延床面積22,320m2、1982年に議会棟、1982~1984年に北館増築、延床面積32,264m2となった。
参考文献
- 川野弘「市庁舎の新築」『TOMORROW』第8巻第3号 1993 あまがさき未来協会
- 川島智生「大正期における尼崎市公共建築について-市建築技師・末澤周次の事績-」『地域史研究』第30巻第1号 2000