尼崎市文化会館
あまがさきしぶんかかいかん
(尼崎市総合文化センターより転送)
(尼崎市総合文化センターより転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
防潮堤建設などによる財政難のなか、市は1952年(昭和27)に市民税源泉徴収の方針を打ち出したが、これに反対する尼崎地方労働組合連絡協議会(尼労連)など労働組合側と市の間で同年4月中に3度交渉が行なわれ、源泉徴収を実施しないかわりに組合側が自主的に納税組合をつくり納税に協力すること、完納者への直接還元と社会施設建設による間接的還元を行なうことで合意した。この結果翌1953年4月、市は尼労連・尼崎地方労働組合協議会(のち総同盟尼崎地方協議会)・総評尼崎地方評議会の3地協代表を中心とした社会公共福祉施設対策協議会を設置、検討の結果阪神国道玉江橋東詰めの日本木管跡地(昭和通2丁目)に文化会館を建設することに決定した。1955年1月着工、同年12月竣工し14日に開館。敷地面積4,959m2、本館3階建て、別館2階建て、1,500人収容のホールや展示室・会議室・結婚式場などを備え、延床面積2,849m2の尼崎市文化会館が実現した。建設と同時に琴秋閣が西本町から文化会館敷地の北東隅に移転。1975年1月10日、敷地内に財団経営の尼崎市総合文化センターが建設され開館、文化会館の運営も同財団に委託された。1979年3月末をもって文化会館は廃止され、同敷地に総合文化センターホール棟(アルカイックホール)建設、1982年7月開館した。
1961年8月、中会議室と大会議室を備えた延床面積453m2の増築が完成した。