尼崎市教育会
あまがさきしきょういくかい
(尼崎教育会より転送)
(尼崎教育会より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
『琴陽雑誌』第43号(1896年・明治29年2月28日発行)には、教育の普及振興を目的とした町内有志による川辺郡尼崎私立教育会設立趣意書および規則(同年同月付)が掲載されているが、このとき発足したかどうかは不詳。1918年(大正7)尼崎市発行の『大正6年度学事統計』には1909年(明治42)6月に設立とある。当初は私立尼崎町教育会と称し、兵庫県教育会に属したはずであるが、川辺郡教育会に属したかどうかは不詳。1916年(大正5)4月の市制施行以降は私立尼崎市教育会または私立尼崎教育会と称した。1917年度の会員数222名、基本金30円、市補助金100円、1941年(昭和16)には460名、資産・市補助金ともにない。学校職員と有志を会員とし、学校教育および社会教育に関する研究調査と実践を目的として、各種講演会・競技会・展覧会・教育施設の視察や兵の慰問などを行なった。1912年(大正元)12月以降は博愛幼稚園を経営した。1936年(昭和11)4月の尼崎市・小田村解消合併以降は、尼崎教育会と小田教育会からなる尼崎市連合教育会がつくられた。1937年の日中戦争開始ころから、国民精神総動員運動の一環として時局認識・思想善導などの取り組みが強化され、教育面から戦時体制づくりを進める役割を果たした。1945年の終戦以降に解散したと思われる。