尼崎木管工組合

あまがさきもっかんこうくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1921年(大正10)6月大日本木管日本スピンドル製造の労働者130人によって結成され、友愛会大阪連合会に加盟した。大日本木管は工場を閉鎖し、全員235人の解雇を発表したので争議となった。友愛会の指導下に、久保田鉄工所尼崎工場、武川ゴムの労働者も連帯して900人のデモを行ない、8月6日全員の無条件復職と工場委員会制度の獲得に成功した。1928年(昭和3)当時の同労組は日本木管、日本スピンドル、鈴木商店製材所に男350人・女120人の組合員を擁した。組合長浜名新太郎、支持政党社会民衆党。創立後争議7回、紛議19回を闘った。

執筆者: 久保在久

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