尼崎汽船部

あまさききせんぶ
尼崎汽船より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1880年(明治13)、尼崎伊三郎(初代)が60トンの小汽船運輸丸による伊勢湾内の海運事業を開始したのが、尼崎汽船部の始まりである。尼崎は、この事業を担う個人経営の組織として1885年3月に大阪で共同組を創設し、1891年6月には大阪共同組と改称。瀬戸内海航路を開拓し、1894年1895年の日清戦争においては船腹不足のなか利益を得、1896年2月には北海道航路にも進出した。初代伊三郎が1904年1月に死亡したのち、2代目伊三郎は朝鮮航路をはじめ各方面に海運業を発展させた。1905年5月に大阪共同組を尼崎汽船部と改称し、1920年(大正9)5月には個人経営の尼崎汽船部とは別に尼崎船舶合名会社を設立、1921年1月これらを改組統合して合名会社尼崎汽船部とした。この間、1903年(明治26)10月には大阪-仁川〔インチョン〕間の航路を開き、以後朝鮮人移民の輸送は同社の主要業務となった。また1904年1905年の日露戦争中には所有船舶を陸海軍の徴用に供し、戦争遂行に協力した。共同組時代の1890年(明治23)大阪商船など10社の関西同盟汽船合併計算組(運賃合同の組織)に加盟、1915年(大正4)関西汽船同盟会に改組されたころには尼崎汽船部は20隻、1万トンを保有し大阪商船に次ぐ勢力となった。1942年(昭和17)5月関西汽船同盟会は加盟社全部が関西汽船(株)設立に参加し、尼崎汽船部も発展的解消をとげた。1948年4月、関西汽船は尼崎汽船(株)ほか2社に出資船舶を返還し、尼崎汽船は海運業を再開したが、その後航路の運航を廃止したものと思われる。

執筆者: 山崎隆三
apedia編集部

参考文献

  • 『興亜火災三十年史』 1975
  • 『大阪市史史料第十九輯 大正期在阪官公署諸企業沿革調査』 1986 大阪市史編纂所
  • 『大阪商船株式会社五十年史』 1934
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