尼崎浦漁民と堺出買人
あまがさきうらぎょみんとさかいでがいにん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
江戸時代に尼崎浦漁民がとった魚の一部は、沖買いの形で大坂・堺方面の出買人や問屋に買われた。1699年(元禄12)には、尼崎打瀬〔うたせ〕船がとった魚を堺の出買人が仲買いすることについて両者の間で申し合わせが成立していた。ところが延享・寛政年間(1744~1751)になって尼崎ざこ船の堺での売買が盛んになってくると、出買人・漁民と魚問屋との間、出買人と漁民との間での争論が堺でおこってきた。尼崎ざこ船と堺の魚問屋との直接取引の停止や、堺漁船の魚の取引優先を求めたものである。この時期以後は一応の協定が成立し、尼崎ざこ船の堺での取引活動は、堺の漁民・出買人の自衛策のため強く規制されたものの軌道にのった。