尼崎渡海船仲間
あまがさきとかいせんなかま
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎の渡海船は1734年(享保19)以来1838年(天保9)にいたるまで266艘の勢力を保っているが、これは同渡海船仲間が享保期あるいはそれ以前から船数を制限していたものと考えられる。1697年(元禄10)尼崎渡海船が大坂の川内で尼崎への荷を積み込んでいたとき、大坂川内で荷物輸送の独占権をもっていた上荷船茶船仲間の妨害をうけた。この裁判の結果は尼崎側の敗訴の終わり尼崎渡海船は大坂からは空荷で帰ることになった。その後も紛争は絶えなかったが、協定がくりかえし行なわれ、大坂の上荷船茶船仲間にたいして尼崎渡海船仲間の勢力が次第に強くなっていった。1864年(元治元)の一文書によると、尼崎渡海船仲間の筆頭として14名のものが中在家町・別所町・辰巳町・大物東之町浜・同西之町浜に居住していた。