尼崎港
あまがさきこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
広義の尼崎港は、中世以来の長洲、杭瀬、大物、尼崎という港の変遷とともに考えられるべきであろう。それは、すでに10世紀のころから問題とされていた自然環境条件、河港であるための不断の土砂堆積と平坦地であるが故の西ないし南の風に無防備である点が、近代までに引き続いて作用しているからである。尼崎藩のもとでは藩が管理して改修していたが、近代に入っては1879年(明治12)に最初の改修工事(浚渫と防波堤構築)が町民の寄付金と町費をもって行なわれた。防波堤には無償払下げをうけた旧尼崎城内の石垣を取り崩して利用した。その後は県費補助をうけて改修を進めたが、1891年の暴風雨で大破したため翌年にかけて、苦しい尼崎町財政のなかで再び修築しなければならなかった。大阪と密接な関係にある阪神工業地帯となる昭和初期には、尼崎築港会社によって大規模な築港計画が実施されて、1940年(昭和15)末までには1万トン級船舶が工場に直接接岸できる工業港として、ほぼ今日の尼崎港の輪郭が形成された、1954年4月、外国との通商貿易を認められた開港場に指定された。現在は、尼崎西宮芦屋港の一部として兵庫県が管理している。
2007年12月1日、神戸港、大阪港、尼崎西宮芦屋港が統合され「阪神港」が誕生。入港にかかる税金が軽減された。
参考文献
- 『尼崎西宮芦屋港要覧』 1993 兵庫県