尼崎産業復興会議

あまがさきさんぎょうふっこうかいぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  第2次世界大戦終了後、当面は経済再建が先決とする総同盟と経済同友会の提唱に産別会議も同調した結果、1947年(昭和22)12月に発足した中央の経済復興会議はわずか1年で事実上解散したが、地方ではなお暫く続いた。尼崎産業復興会議は、総同盟尼崎地方協議会が首唱、生産危険突破運動・経営民主化・勤労者生活の確保をうたって1947年3月27日、労使300名で結成式を挙げたが、1948年11月2日の時点でも存続している。この日の金融懇談会は、兵庫県産業復興会議が神戸地方で成果を収めた融資斡旋事業の尼崎地方への導入を検討した。同年末にでた経済安定9原則の実施によって県復興会議の活動は次第に困難となり、1949年末以降尼崎の会議もともに消滅したが、この運動の経験から兵庫労働金庫が生まれた。

執筆者: 渋野純一

参考文献

  • 『兵庫県労働運動史』戦後1 1983 兵庫県
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