尼崎町(近代)
あまがさきちょう(きんだい)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
江戸時代には尼崎藩の城下町として栄えたが、廃藩以後は郡役所の置かれた伊丹町や西宮町に中心が移り衰退した。五〇区制では24・25区に分属、一九区制では第9区1番組・2番組・3番組に分属した。1880年(明治13)第6戸長役場の管轄となり、以後は尼崎町単独で戸長役場を維持した。1889年町村制施行とともに別所村・大物村・竹谷新田・新城屋新田・初島新田を合わせて、人口1万3,500人余の尼崎町が成立した。その後尼崎港の修築を行ない、川辺馬車鉄道(のち阪鶴鉄道)の起点となり、さらに阪神電鉄の開通、諸工場の設立とともに発展し、1916年(大正5)北隣する立花村の東難波・西難波両地区を合わせて人口3万2,000人に達し、同年4月1日、県下で神戸・姫路についで3番目に市制を施行した。
なお、1889年(明治22)~1916年(大正5)の市制施行まで、行政上の表記としては「尼ヶ崎町」が使用されていた。