古くから材木の集散地であった尼崎とその近辺にある神崎では、番匠と呼ばれたすぐれた棟梁大工を中心とする集団が居住し活躍していた。この大工集団は番匠の指導下、釘大工・瓦大工・鍛冶大工が働き、さらにそのもとに手代など多数の弟子が組織されていた。1338年(建武5)には石清水八幡宮再建にあたって西経蔵の大工を尼崎番匠が勤めている。権門社寺所属の番匠ばかりのなかで、唯一の地方番匠であった。伝統と技能を評価して起用されたものと思われる。神崎番匠については1413年(応永20)に京都東寺の屋根ふきかえで京番匠と並んで重要な役割を担い、2か月間に延べ221人の番匠が従事していることなどがわかる。
執筆者: 田中勇