尼崎粘土層
あまがさきねんどそう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎平野の地下に広く分布する内湾に堆積した海成粘土層。海岸線付近で厚さ約20m、大阪湾方向に厚くなり、湾央では40mに達するが、陸方向に漱次薄くなって、JR東海道本線付近で消滅する。豊富に海生の貝化石を含み、1961年(昭和36)七松の尼崎市役所庁舎建設時に多数の内湾に生息する貝の化石が得られた。また同年田能付近の藻川も左岸の改修工事中、本層であらわされる内海に注ぐとみられる川口の砂層中に埋没していたイタヤカエデの年代測定の結果、下位層のものは1950年から起算して5,960+-90年、上位層のものは2,700+-90年という値が得られた。これらの結果からみても、その堆積状態からみても、本層は縄文海進によって大阪湾が拡大した時に堆積した内湾性の粘土層で、沖積層の主体をなすものであって、尼崎平野の形成と深い関係がある。本層の延長は大阪平野の地下にも広く分布し、梅田層あるいは難波層と呼ばれている。本層は未固結で水分を多く含んでいるため、都市建設のうえにも大きな問題を抱えている。地盤沈下の原因の大部分は本層の圧密によるものであり、建築物の地盤としては支持力が小さく、不等沈下を起こしやすいので軟弱地盤と呼ばれる。
参考文献
- 前田保夫『縄文の海と森』 1980 蒼樹書房