尼崎紡織労働組合

あまがさきぼうしょくろうどうくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  深夜業廃止を目前に控えた1929年(昭和4)1月総同盟が労働条件低下阻止を目的に大阪合同紡績神崎工場620人を組織して結成した組合。対立する組合同盟系の日本紡織労働組合藤岡文六らの交渉で同年4月27日先行妥結したのに対抗して、賃上げと退職手当制定などの要求を掲げこれを上回る条件を獲得した。しかし深夜業廃止に対応する賃上げが獲得できなかったため、交渉経過に不満の労働者約1,000人が5月6日ストに入り、8日にはあらたに工場脱出に成功した女工300人が争議団に加わって闘争体制を整えた(合同紡神崎工場争議)が、日本紡織労組との共闘は成立せず、天皇行幸を理由とする警察の干渉により、深夜業廃止にともなう争議として注目されたが敗北に終わった。

執筆者: 久保在久

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