尼崎自由労働者組合
あまがさきじゆうろうどうしゃくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1949年(昭和24)10月10日に結成された、日雇い労働者=自由労働者の労働組合。経済9原則、ドッジ・プランの実施による企業整備、首きりの嵐は失業者を増大させ、各地で「職よこせ」運動を激化させた。尼崎でも、同年6月市内の各工場で人員整理が進む中、失業者数の増大が問題となった。こうした中、職業安定所内部の不正事件の摘発を契機に、日雇い労働者の組合設立を方針とした尼崎全労協の指導のもと、尼崎でも自由労組(1,170人)が結成された。組合長には全労協の長谷正事書記長が就任した。以後、尼崎自由労組は全労協の中核労組の一つとして、翌1950年から1951年末にかけて繰り返し求職闘争を展開し、1952年には全国初の「日雇労働保険」制度を獲得した。1952年5月尼崎自由労組から総同盟系が分裂、友愛組合を結成した。1953年には、尼崎自由労組は全日本自由労働者組合兵庫県支部尼崎分会となった。
参考文献
- 『激動期を行きぬいた人たち-尼崎市失業対策事業の歩み-』 1993 尼崎市失業対策課