尼崎都市計画区域
あまがさきとしけいかくくいき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
都市計画は、都市とその周辺への人口集中によってもたらされる住宅の過密化と不足、街路の不整、住宅と工場との混在による環境悪化、地価騰貴などに対処するために、都市の無秩序な発展を整備しその将来計画を確立するものである。1919年(大正8)都市計画法・市街地建築物法が制定され、まず6大都市に施行された。尼崎市ではすでに1916年の市制施行以来都市計画の設計を検討していたが、これは全国的にも早期のものであった。その結果、1923年7月1日、尼崎市は都市計画法を施行すべき都市に指定され、翌1924年12月22日、都市計画兵庫地方委員会に尼崎市長ら市代表の委員が出席したうえで市のほか大庄・武庫・園田・小田・立花の5か村が尼崎都市計画区域に決定された。このように1市域をこえて広域的な区域指定がなされたのは都市計画の本来の目的によるものとはいえ、個々の市町村の利害が無視されるおそれもあった。この区域における最初の具体的な計画は、1929年の総合的な都市計画街路の決定である。ついで1931年には市街地建築物法の適用によって尼崎市・小田村・大庄村に住居・商業・工業および未指定地の地域区分が指定された。さらに都市計画事業として土地区画整理事業が実施された。その最初のものは、1934年国鉄立花駅設置にともなう駅周辺の区画整理で、その他大庄土地区画整理事業(1938年着工)、災害復興土地区画整理事業(1939年)、省線以南土地区画整理事業(1940年)、尼宝〔にほう〕土地区画整理事業(1942年)などをはじめ広範な地域に区画整理が実施された。また1934年の室戸台風による風水害からの復旧のなかで計画街路のほか運河の整備がすすめられた。
参考文献
- 『都市計画兵庫地方委員会議事録』 7 1924
- 『都市計画兵庫地方委員会議事速記録』 13・14・19・20・22 1929~36
- 『尼崎都市計画地域指定参考資料』 1929 都市計画兵庫地方委員会
- 「大正14年尼崎都市計画区域決定関係史料」『地域史研究』第22巻第1号 1992