尼崎関

あまがさきのせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  中世の港に置かれた関所。鎌倉中期以降、要港・要津に関所をもうけて、往来の船舶から津料を徴収する権利を権門寺社に与え、その造営費などに充てることが盛んになった。このため、権門寺社は関所の獲得を競い、尼崎市域にも、興福寺神崎関、京都八坂の法観寺の一洲関などが設置されたが、やがて1313年(正和2)2月、朝廷は、焼失した東大寺の東塔の修造費に充当するため兵庫関・一洲関・渡辺関(現大阪市)の三か津で津料の半分を同寺に寄進した。これらの関所で津料の徴収権をえた東大寺は、さらに津料の増徴をめざし、一洲関とは別に尼崎にも新関をもうけ、東大寺八幡宮の神輿造営料と称して、船別100文の津料をとるにいたった。しかし、尼崎関は、翌年9月、鎌倉幕府の命令により、兵庫・渡辺などにもうけていた東大寺の他の新関とともに停止された。

執筆者: 田中文英

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