山崎宗鑑
やまざきそうかん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
生没に異説あり。戦国時代の連歌師、禅僧。大徳寺一休和尚の弟子。1488年(長享2)能勢頼則興行の連歌会の宗祗らと参加、世に知られるようになった。山崎宗鑑と署名し始めた1502年(文亀2)ころから山崎(現京都府大山崎町・大阪府島本町)に居住。山崎居住以後の成立である宗鑑編著「俳諧連歌抄」(犬筑波集)は、宗祗などの連歌と異なって日常の身近な題材と卑俗な用語の使用が特徴。江戸時代には荒木田守武とともに俳諧の祖と称された。大山崎惣中や侍衆を相手に書道と俳諧選集により生計を支えていたが、1530年(享禄3)以後に山崎を去り、以後の消息不明。通説では山崎居住以前に尼崎に隠棲とするが、山崎から尼崎に移ったとの説もある。尼崎での居住について史料、記録はない。
参考文献
- 吉川一郎『山崎宗鑑傳』 1955 養徳社
- 『大山崎町史』本文編 1983