山陽新幹線
さんようしんかんせん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1965年(昭和40)9月に認可された山陽新幹線は、当初いくつかの路線案が検討されていた。阪神間では、市街地を分断せずなおかつ神戸市街地に駅を設置するという観点から、神崎川・藻川合流点から大きく左カーブを描いて尼崎・伊丹市境近くを通り、西宮市神呪町からトンネルに入る現路線が選択された。1966年5月に予定ルートが公表されると尼崎市は立ち退きおよび公害被害を理由にルート変更もしくは地下鉄化を主張、地元からも反対運動がおこり、西宮市・伊丹市もルート変更を主張した。交渉の結果、側道整備費用の一部国鉄負担という県知事あっせん案が1968年12月に出され、3市ともこれを了承した。尼崎市は1969年6月国鉄と覚書を交わし、以後市域の測量調査が開始され、12月には国鉄と地元との覚書も交わされた。高架橋・軌道敷設工事は1969年11月~1972年2月実施、神崎川橋梁・武庫川橋梁工事も1968年10月~1971年7月に実施された。1972年3月15日新大阪-岡山間161kmが開業、1975年には博多まで延長された。
参考文献
- 『山陽新幹線 新大阪・岡山間 建設工事誌』 1972 日本国有鉄道大阪新幹線工事局