岡本市兵衛家(大庄屋)
おかもといちべえけ(おおじょうや)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
摂津国武庫郡瓦林村(現西宮市瓦林町)。1695年(元禄8)~1705年(宝永2)の間尼崎藩郡右衛門、1723年(享保8)~1756年(宝暦6)、1765年(明和2)~1871年(明治4)の間尼崎藩大庄屋を勤めた(他の時期は庄屋)。1611年(慶長16)すでに35.13石の田畑を所有し、その後二度分家を出したこともあって持ち高は伸びなかったが、安永(1772~1781)以降増加しはじめ、1773年(安永2)50.713石、1818年(文政元)には92.713石に達した。そしてつねに持ち地の7,8割を手作りしており、1792年(寛政4)には、ついに持ち地8町7反3畝の84%に当たる7町3反3畝を手作りして、わが国では例のない大きな富農経営を展開した。その後手作りを縮小し寄生地主化した。同家にのこる膨大な史料は近世全期にわたり先進地農村の構造、商業的農業、農業経営や尼崎藩政などを明らかにする貴重な史料で、西宮市文化財に指定されている。