1769年(明和6)尼崎藩の飛び地領となった播磨国宍粟〔しそう〕郡村々のうち、千種川流域の村を統轄した大庄屋組。藩の機構上は上郡陣屋が管轄し、岩野辺村の石原氏が大庄屋を務めた。当初は岩野辺・西山・船越・上三河・千草・室・河崎〔こうざき〕・上ノ〔かみの〕・黒土・下河野〔けごの〕・西塩野の11か村(4,113石余)であったが、1808年(文化5)ころまでには伊和組から同じ千種川沿いの下三河・漆野・下野の3か村が編入された。1828年(文政11)12月、伊和組北部村々とともに全村が公収され、尼崎藩の支配を離れた。
執筆者: 上田光夫
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