川辺郡教育会

かわべぐんきょういくかい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1882年(明治15)4月「汎〔ひろ〕ク教育上ノ利害得失ヲ諮詢〔しじゅん〕討議シ其旺盛ヲ計ル」ことを目的として、県の認可を得て、伊丹町に川辺郡教育会が設立された。会員は各小学校教員1名、各小学区学務委員1名からなり、郡長が召集し議案を発した。会費等は各学区協議費によった。同会は学校の休業期日、月次試験、生徒の賞与法などを取り決めた。その後学校教育が拡充するにともなって1888年10月郡長が郡内有力者によびかけ、教員・学務委員以外に町村会議員など有力者を会員に加え組織を拡充、私立川辺郡教育会に再編された。この結果教員の研修のためよりは、学校教育を推進することを主眼とするものになった。1900年11月に改正された同会規則によれば、同会の事業の第1には「教育上緊要ノ事項ヲ調査研究シテ当事者ノ参考ニ供シ、又ハ公衆ノ注意ヲ促スコト」が掲げられ、第3に「小学校教員及其ノ候補志望者ニ対シ修養ノ便利ヲ与フルコト」があげられている。1902年には352人、さらに1906年には489人の会員を数えた。1905年私立県教育会の下部組織となった。1945年(昭和20)の終戦以降に解散したものと思われる。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 『伊丹市史』第3巻 1972
  • 宮川秀一編『伊丹教育史料』(伊丹資料叢書7) 1985

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