巡見使
じゅんけんし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
江戸幕府が、全国の大名の動向を監視するために派遣した私領巡見使と幕府領を巡見する御領巡見使とがあった。私領巡見使は1633年(寛永10)に初めて派遣され、1681年(天和元)からは将軍代替りごとの恒例となって幕末までに10回におよんだ。西摂の巡見は、近畿地方9~10か国の巡見の一環として実施された。巡見使の尼崎藩領地域の通過コースは1716年(享保元)以降一定しており、兵庫津から西宮町、有馬郡湯山町、三田町、豊島郡池田町に宿泊し、尼崎市域の村々を通って大坂に向かっている。全村を巡見してはいないが、藩領通過時には大庄屋や庄屋が領内村々を案内したので、村況についての巡見使の質問に備えた大庄屋の手控えには藩領全村の記録が残されている。巡見使一行は総勢90余人、村々では昼の休息所の準備、道筋の掃除やかご・人足の用意などを藩から命じられた。
参考文献
- 山下幸子「天明八年御巡見様御通行御用之留帳(1)(2)」『地域史研究』第1巻第2号・第3号 1971・1972
- 史料館「天保九年巡見使通行御用の留(1)(2)」『地域史研究』第6巻第1号・第2号・第3号 1976・1977