戸田氏鉄(戸田左門)の開削した水路として左門殿川の名がついているが、三国川(神崎川)の場合と同様に既存水路の改修によってできたものであろう。かつては八十島と呼ばれる多くの島や洲の間を縫って流れていた一分流の利用であろう。三国川の場合は京と西海を結ぶ最短距離の水路を開くことに目的があったが、左門殿川の場合は尼崎城の防禦的(軍事的)役割を持っていた。大坂側からは左門川と呼ばれたようである。神崎川から分流点より佃島の西を通って中島川との合流点まで、2,250mにおよび、1965年(昭和40)3月に1級河川に指定された。
執筆者: 渡辺久雄