市営住宅
しえいじゅうたく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
市域の住宅難と家賃高騰に対処するため、市は1920年(大正9)から東難波字中新開で市営住宅建設工事を開始し、1924年9月までに敷地2,088坪に26棟・116戸を完成した。平屋建てと2階建てからなり、広さは8~22畳、上水道は一棟1か所の共同栓、全戸電灯・建具・畳付きで、家賃は月額6円72銭~18円48銭であった。当初は家賃が一般の水準より格安で、しかも郊外住宅風であったためサラリーマン層を中心に申込みが殺到したが、次第に市街地化し環境が悪化した。このため昭和期に入ると2~3割が空家となったが、1934年(昭和9)の室戸台風を機にふたたび入居者が増加し、昭和10年代にはほとんど満室の状態であった。1945年に入ると、約半数が家屋疎開で撤去され、残りは6月15日の空襲で焼失した。
戦後は、戦災者用に企業の遊休工員寮を取得して市営アパートとする一方、1946年以降は新たな市営住宅の建設に着手し、1960年には2,000戸、1995年(平成7)4月1日現在では9,000戸を数えている。