市民館

しみんかん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市外からの流入労働者の増加に対処するため、1929年(昭和4)7月市会で簡易宿泊所兼簡易食堂の建設が決定された。工費4万円を大蔵省預金部より借入し、敷地は本咲利一郎から中在家町戎橋北詰の257.97坪を寄贈され着工、1930年7月完成し市立尼崎市民館と命名された。スレート葺木造2階建ての洋館で延面積166坪、2階は宿泊室10(うち婦人専用1)と講堂であわせて70人収容可能、階下は理髪室・浴室・事務室などのほか、簡易食堂が併設され一般の利用にも供された。宿泊料は1泊20銭、宿泊者は1931年が1日平均25.6人であったが、1939年には51.8人へと増加した。

  戦後は生活保護法(1950年施行)による厚生施設として元浜町1丁目に建設され1952年12月5日に再開(『尼崎市民時報』第64号-昭和27年12月25日-には「希望館」と表記)、住居・身寄りのない男子労働者・失業者を収容、1954年中の収容延人員17,930人・実人員118人であったが、更生施設としての条件に欠け運営も困難なため、1956年4月以降は簡易宿泊所となった。常時50人余の宿泊者があったが1957年8月火災により焼失し、廃止された。

執筆者: 地域研究史料館

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