常光寺
じょうこうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
小田地区の大字。市域南東部、神崎川の西岸に位置する。史料上の初見は「細川両家記」永禄9年(1566)7月17日条(『尼崎市史』第4巻)。地名の由来と思われる寺名浄光寺は、これより早く「太平記」康安2年(1362)8月16日条(同前)に「浄光寺ノ要害」として登場している。『摂津志』によれば中世には富島荘の荘域であった。
近世には大和国小泉藩片桐氏の領地であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に410.012石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に407.112石とある。大井組に属した。氏神は皇大〔こうたい〕神社、寺院は真言宗善通寺派浄光寺(慈眼院)。
1889年(明治22)以降は小田村、1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。常光寺から今福にかけては、大正期にはすでに大阪合同紡績(のち東洋紡績神崎工場)が広大な敷地を占め、富士製紙神崎工場(現新王子製紙神崎工場、常光寺)・神戸醋酸(現塩野義製薬、今福)なども立地する工場地帯であった。1985年の住居表示により常光寺となったほか、一部が長洲東通・今福となった。