常吉
つねよし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫地区の大字。市域北西部、武庫川の東岸に位置する。史料上の初見は1501年(文亀元)「楢葉近江守貞連申状」(賦草案之引付所収/室町幕府引付史料集成)で常吉名〔みょう〕とある。北に隣接する常松と同じく名田の開発領主名に由来する地名と考えられる。渡辺綱にちなんだ破風のない家の伝説が伝えられている。
近世初期には幕府領、1617年(元和3)村の大部が尼崎藩領、極小部が旗本佐藤氏(信則系)の知行所となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に94.542石、「元禄郷帳」に176.373石、「天保郷帳」に215.806石とある。武庫井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、寺院は浄土真宗大谷派常願寺。
1889年(明治22)以降は武庫村、1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となった。西武庫にかけて市域で最初の大規模団地である西武庫団地が建設され、1962年に入居を開始した。1965~1989年(平成元)の住居表示により常吉・武庫豊町となったほか、一部が武庫元町・武庫之荘・常松・武庫の里となった。