旧尼崎町の大物町(現大物町1丁目)にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は蝦江山。『尼崎志』は『摂陽群談』ほかにより、永禄年間(1558~1570)海老江(現大阪市福島区)に了西開基としている。大物への移転時期は不明。また了西は俗名渡辺民部、摂津渡辺党に属し石山合戦にも参加したと伝えられ、戦国期の常念寺は同じく大物町にある西教寺とともに、石山本願寺のもとに有力な武力を有した西成郡の三番定専坊に属し、当初は現在地より北西の大物蜆町にあったが承応年間(1652~1655)に焼失、1720年(享保5)本堂が現在地に再建されたとしている。木仏授与は1630年(寛永7)。
執筆者: 地域研究史料館