平家没官領

へいけもっかんりょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平家滅亡のさい、朝廷が没収した平家一門の所領。朝廷は、その500余か所にのぼる所領の大部分を源頼朝に平家追討の勲功として与えた。頼朝が入手した平家没官領は、鎌倉幕府の支配が最も強くおよぶ関東御領の中核となった。尼崎市付近では、頼朝が妹の一条能保室(夫人)に譲与した平家没官領20か所のうち、小松荘武庫御厨がある。小松荘は、武庫川西岸の河口近くに位置し、現在は西宮市域であるが、もとは武庫川東岸の尼崎市域から小松にかけてひろがる武庫荘の一部であったと考えられる。1184年(寿永3)5月、頼朝は源光清という武士を「武庫庄小松并供御所」の下司職・公文に補任したが、この時点ではまだ小松は武庫荘内に含まれており、まもなく分離して小松荘になったのであろう。また、ここに「供御所」とあるのは武庫御厨を指し、やはり武庫荘に近接していたものと推測される。

執筆者: 田中文英

参考文献

  • 石井進「平家没官領と鎌倉幕府」『論集中世の窓』 1977 吉川弘文館
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