広田神社

ひろたじんじゃ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  祭神、天照大神荒魂〔あまてらすおおかみあらみたま〕(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命〔つきさかきいつのみたまあまざかるむかつひめのみこと〕)。当社の創祀については「日本書紀」神功皇后紀に詳しい。古来、朝廷の崇敬が厚く、神位も高く、中世には、畿内名神大社選定の際22社の1社に加えられ、朝野の厚い崇敬を受ける。とくに中世以来さかんに行なわれた歌合が、再三社頭で開かれ、「西宮歌合」「南宮歌合」「広田社歌合」の名で今日まで伝わっており、文学の神としての一面を示している。西宮地方一帯は、古くから神祇官直轄の神領地であったがために、神祇官長官である白川伯家と広田、西宮両社とは特別な関係にあり、事あるごとに、西下して参拝祈願するという厚い崇敬を受けた。その間の事情を物語る記録や紀行文が伝えられ参考に資する点多大である。また、公家のみならず武家の信仰も厚く、1184年(元暦元)源頼朝が淡路国広田荘を寄進して平家討伐の成就を祈っており、近世には豊臣、徳川等の有力者から崇敬され、再び、武神として信仰されることになった。本社の摂社に南宮神社(浜南宮ともいう)がある。西宮えびす社は元来南宮社の中の一社であったが、後に発展、独立した結果、南宮社の境内がそのままえびす社の境内となり、その境内に南宮社が祭られることになった。旧官幣大社。

執筆者: 吉井良隆

参考文献

  • 『広田神社由緒記』 広田神社
  • 『西宮市史』第1巻 1959

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