庄下遊園地
しょうげゆうえんち
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1910年(明治43)、庄下川西岸の庄下橋から宮町八軒町(現国道43号庄下川橋付近)までの間に設けられた、尼崎で最初の本格的な公園。1912年(大正元)12月14日には尼崎で最初の自働電話(公衆電話)も設置された。さらに1919年には、東岸の護岸も改修され公園として整備された。その後、1935年(昭和10)2月25日に庄下遊園地使用料条例及び同管理規程廃止の件が尼崎市議会に提出され3月9日に可決されているので、同年3月末をもって「庄下遊園地」としては廃止されたものと考えられる。東岸部分の一角に兵庫県立西宮懐仁病院分院(のち兵庫県立尼崎病院)が新築される1936年頃には、東岸部分の一部が小公園として残っていた。ベンチや藤だな、1937年3月頃にはラジオ塔も設置され、長く市民に親しまれたが、戦後しばらくして廃止されたものと思われる。