廣徳寺

こうとくじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。『尼崎志』は寺記を引いて、1390年(明徳元)正印(京都大徳寺第7世言外宗忠)開基、のち兵火に衰退するが栖賢寺とともに笑嶺宗訴(1583年・天正11没)中興としている。また「如意庵所領注文」(大徳寺文書/大日本古文書家わけ17)には「廣徳開基華岳栄(宗栄)和尚」とあり、檀那である宗栄が本山の言外宗忠に依頼して廣徳寺が開かれたものと考えられる。中世には大徳寺の塔頭如意庵の末寺であった。大物町にあったが、近世尼崎城築城にともない元和年間(1615~1624)に寺町に移転したと考えられる。「川角太閤記」には、1582年(天正10)の山崎合戦を前に羽柴秀吉が栖賢寺で髻〔もとどり〕を切ったとある。『絵本太閤記』などに秀吉が明智勢に追われて廣徳寺に逃げ込み、さらに隣の栖賢寺に逃れたとあるのはこれを潤色したものであろう。廣徳寺は近世には大物町に寺領を有していたが、これは山崎の戦勝を機に秀吉から与えられたものという寺伝がある。

執筆者: 地域研究史料館

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