建部光重

たけべみつしげ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1578年(天正6) - 1610年(慶長15)5月25日

  光重は初め秀吉、次いで秀頼の近習として仕えた。彼の父建部高光(寿徳)は1584年(天正12)ころ尼崎とその付近3万石余の豊臣秀吉直領を管掌する尼崎郡代に任じられていた。この秀吉直領は秀吉死後は秀頼に受け継がれ、江戸時代に入っても、秀頼のもとで、高光の郡代職はつづいた。1607年(慶長12)高光が死に、郡代の職を光重が継いだが、彼はわずか3年にして33歳で死に、幼少8歳の建部政長に跡をゆだねることになった。政長は大坂の陣後尼崎初代の藩主となる。

執筆者: 八木哲浩

  建部政長が摂津国内に1万石を与えられた2年後の1617年(元和3)7月に戸田氏鉄が近江国膳所から転封し、本格的な意味での尼崎藩が成立する。建部氏時代は、この尼崎藩成立の前史と見ることができる。

執筆者: apedia編集部

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