志多良神
しだらがみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
平安時代に民間で信仰された神。志多羅・設楽神などとも書く。「しだら」とは、手拍子をとって歌うことで、この神を祀るにあたって、大勢に人びとが手拍子をとって歌舞したことから名づけられたという。この神は、945年(天慶8)7月末に、摂津国河辺郡から志多良神を祀った神輿をかついだ数百人の人びとが、御幣をささげ歌舞しながら西国街道を東上するという形態で出現した。その集団は、途中で参加人数が激増し、8月はじめに石清水八幡宮に到着したさいには、数千・万人に達していたという。その間、神輿は伊丹市の昆陽寺にも寄っているので、当然、近隣の人びとのなかにはこの集団に参加した者がいたことであろう。志多良神の性格については、一種の疫神・御霊神ではないかとする見解がある。しかし、神輿をとりまいて歌舞したさい童謡のなかに、「いざ我等荒田開む、志多良うてと、神は宣まう」とみえる点などから、農村における開発と生産を守る神として信仰されたとする見解がだされ、現在、後者の見解が有力である。
参考文献
- 戸田芳実『初期中世社会史の研究』 1991 東京大学出版会