1867年

慶応3年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1840年代 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代
周辺の年:1864年 1865年 1866年 1867年 1868年 1869年 1870年

慶応3年

  • 2月 - 尼崎藩農兵による西洋流銃隊を編成し、農兵の扶持米の6割を藩領村々の負担とした。
  • 3月27日 - 尼崎藩は、京都禁裏御用を勤める生魚問屋手平屋清七の願いにより手平屋・直場屋以外の問屋が明石の「生」印をつけた魚船と取引きすることを禁じた。
  • 8月 - 椎堂村は幕府から近江土山宿の加助郷を命じられたが、摂海防備冥加金上納や長州進発にともなう夫役人足負担等による困窮を訴えて免除を願った。
  • 10月14日 - 将軍徳川慶喜が大政奉還の上表を朝廷に提出した。
  • 11月10日 - 大政奉還後の朝廷の命令を受けて、尼崎藩主松平忠興が上京した。
  • 11月30日 - 大政奉還を受けて長州藩兵が打出村(現芦屋市)に上陸し、上ヶ原新田(現西宮市)に本営を設置した。
  • 12月1日 - 大政奉還を受けて出兵した長州藩兵が、本営を上ヶ原新田(現西宮市)から西宮町の六湛寺に移した。
  • 12月2日 - 在京していた尼崎藩主松平忠興が自領警備を理由に帰藩し、尼崎藩の伺いに対して幕府は長州藩兵の領内止宿・城下通行を妨げないよう指示した。
  • 12月4日 - 西宮宿陣中の長州藩士が尼崎城に来訪し、上坂の趣旨を告げた。
  • 12月7日 - 朝廷は兵庫開港・大坂開市を勅許した。
  • 12月15日 - 尼崎藩の使番2人が、12月4日の長州藩士来訪に対する返礼のため西宮宿の長州藩陣営を訪問した。
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