慶長10年摂津国絵図
けいちょう10ねんせっつのくにえず
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1605年(慶長10)9月幕府は国々に国絵図・郷帳の作成を命じた。摂津では、大坂にいる豊臣秀頼の御使番衆伏屋飛騨守・水原石見守を奉行として作られ、国奉行片桐且元がこれを改めて提出された。摂津最古の国絵図であり、村高を記す史料としても最も古い。国別・郡別の石高・田畑面積、村名・町名・村高・街道・一里塚等が記されている。村名は小判型に、町場は四角に枠取りされている。市域の町場は「尼ヶ崎」と「塚口」である。西摂では(1)大坂-尼ヶ崎-西宮町-兵庫津、(2)大坂-伊丹町-西宮町、(3)池田町-小浜-湯山と、町場を結ぶ三つの道筋が太く描かれ、主要街道であることを示している。(2)(3)には一里塚の印二点標記:があるのに、(1)の大坂-西宮間にはそれがない。大坂-尼崎はむしろ舟運によることが多かったからであろうか。西宮市立郷土資料館・東京大学図書館に所蔵。
参考文献
- 『兵庫県史』史料編近世1 1989