尼崎城外の南東部、かつての砂洲小島と葭島の間にかかる橋。西道(中国街道)が城内二之丸南浜を通る筋を変えるため、1635年(寛永12)から1665年(寛文5)にかけて城外南側の葭島に築地町を建設した時にできたと考えられる。西道(中国街道)が城の北と南の二筋に分かれるところの南筋のコースにあたる。なお、築地町の南部にえびす宮が鎮座し、その関係から築地本町筋において東側端に大黒橋、これに対する西側端に戎橋があり、両橋の名称のいわれが察せられる。
執筆者: 松岡利郎
カテゴリ: 城(近世)