戸長役場

こちょうやくば
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1880年7月、戸長役場分画図
1880年7月、戸長役場分画図

  兵庫県(第2次)では1872年(明治5)6月庄屋・年寄を戸長・副戸長と改称し、またそれとは別に18711872年区制のさい区内の戸籍編製の責任者として戸長を置いたが、これらの場合戸長の執務する場所を戸長役場と称したかどうかはあきらかでない。1879年、各町村に戸長役場が設けられ、○○村(町)戸長役場と称することになった。しかし行政事務が複雑となり1村で単独の戸長役場を維持することが困難となったので、翌1880年7月数町村を組み合わせた連合戸長役場制が実施され、市域では川辺郡の第3~9の7戸長役場、武庫郡の第8・9の2戸長役場が置かれた。

1881年7月、戸長役場分画図
1881年7月、戸長役場分画図

  これにたいして不便であることや経費軽減にならないなどの理由でもとの単独戸長制の要望が続出したので、翌1881年7月尼崎町別所村・神崎村など比較的大きい13町村には単独戸長制が認められ、その他も組合村数を減少した戸長役場区域となり、市域では川辺郡は22、武庫郡は6戸長役場となった。

1883年7月、戸長役場分画図
1883年7月、戸長役場分画図

  さらに1883年7月には戸長役場区域を川辺郡では9、武庫郡では2に統合し、それぞれ役場の所在する町村名を冠して○○組(町)戸長役場と称したが、翌1884年10月から○○村外何箇村戸長役場(尼崎町のみ尼崎町戸長役場)と改称し、町村制の施行までつづいた。

執筆者: 山崎隆三

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