所質
ところじち
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
中世における債権者・債務者間の一種の契約およびそれにともなう差押え行為。差押えの場所により、郷質〔ごうじち〕・国質〔くにじち〕ともいう。主として戦国時代に、債務者の債務不履行によって、債権者は時と場所とを選ばず、相手方の財産を没収できるという慣行があった。債権債務関係が刑事的事件(殺人・傷害など)にも拡大されることがあった。例えばA村の甲が隣接するB村の乙に殺された場合、B村が然るべき賠償を行なわない時は、丙でも丁でも誰でもB村の村人がA村を通過したさい、A村の村人に殺されてもかまわないとする慣習である。このように自力救済思想に裏付けられた強制執行がしばしば流血の惨事につながり、また紛争が拡大することが多かったので、戦国大名は多くこの慣行を禁圧した。1542年(天文11)三好長慶が守部村・大島荘浜田村に掲げた禁制や1549年伊丹親興が本興寺に掲げた禁制、1556年(弘治2)長慶が同じく本興寺に掲げた制札では、それぞれ国質・所質を厳禁している。