摂津十三日講

せっつじゅうさんにちこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  摂州十三日講、十三日講ともいい、浄土真宗西本願寺派の門徒組織のひとつ。講は寺院の本末制度とは無関係の独立した組織で、宗主から下付された消息を拝読する寄り講を開く。本山と講のあいだには僧侶や寺院の支配がなく、末寺の僧侶も門徒も同格で、直接本山に結びついている。十三日講には、1641年(寛永18)7月19日、第13代宗主良如(光円、1612-1662)から初めて消息が授与された。この講組織の母体は一向一揆のときの戦闘単位であり、寄り講の起源は消息授与の時より古いとされるが、時期は不明である。講員10万といわれて、いまも本山擁護・守護の役目をもつ。講を結ぶ範囲は豊島〔てしま〕・川辺・武庫・菟原〔うはら〕の4郡で、1662年(寛文2)に武庫川を境として川東組と川西組に分けられた。1739年(元文4)8月、活動不振の川西組を切り放し、改めて猪名川を境界として川西組は武庫・川辺郡、川東組は豊島郡の範囲とした。川西組はさらに、尼崎・伊丹を境として浜方・山方に分けられ、両組に大行司・年番寺院を定めて、大寄講・小寄講を開座した。大行司は、1か寺と1在家で務め、任期はいずれも1年である。尼崎市域には、枝講の灯明講・大谷講、女性だけで寄る尼講がある。

執筆者: 山下幸子

参考文献

  • 日野照正『摂津国真宗開展史』 1986 同朋舎出版
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