西宮市塩瀬町名塩にある寺院。浄土真宗本願寺派。名塩御坊ともいう。1475年(文明7)、名塩の村民が蓮如を招いて寺庵を建立したのにはじまる。蓮如は、この寺庵を摂津富田の教行寺にいた子蓮芸に兼帯させ、当寺も教行寺と名づけた。蓮芸の没後、その次男賢勝が跡をつぎ富田教行寺から独立して、寺号も広教寺と改めた。賢勝の孫准超は、豊臣秀吉の養女を妻とし、彼女が没すると、後妻に毛利輝元の孫娘を迎えるなど寺運の興隆をはかり、1617年(元和3)寺基を現在地に拡張移建した。1634年(寛永11)、寺号も教行寺の旧号に復した。
執筆者: 田中文英
参考文献